国籍に関係なく同じ人間だ
中国漁船の尖閣諸島沖での領海侵犯による違法操業と海上保安庁巡視船の公務執行妨害にはじまった、尖閣諸島の領有権を主張する日中両政府間の批判の応酬が物議を醸している。今年1月には、国後島沖の安全操業区域外で日本の漁船が違法操業をしたとしてロシア国境警備隊の銃撃を受けるなど、北方四島をめぐるつば競り合いも不穏な状況に変わりはない。さらに韓国との間においても竹島をめぐる領有権争いが絶えない。そして、いずれの国も、国家の威信をかけて一歩も譲る気配はない。なぜなら、それぞれの領土や領海、領空の物理的空間、生物資源や地下・海底資源などを含めた環境的あるいは経済的価値があるからである。
国民の多くは、歴史的経緯から考えて、先祖から受け継いだ我が国固有の領土として、その権益確保をあくまでも主張する気持ちが強いのではないか。しかし、第二次世界大戦の苦い経験を教訓とすれば、それゆえに戦争をすることは良しとしない。また、65年前とは異なり、今日の世界は、国際的な問題に取り組む非政府組織、国を超えて事業を展開する多国籍企業、国際結婚によって家庭内で出身国が異なる多国籍家族に至るまで、あらゆる次元においてグローバル化が進行しており、その点においてもできれば紛争は避けたいところだ。
ここで提案したいのは、国籍のアイデンティティの上位概念としての人間というアイデンティティにおいて、係争地・海域を捉え直すことである。言い換えれば、それらの当該域を各国の所有物としてではなく、同じ人間として共有する地球という生態系の一部として捉えるということだ。そうすれば、尖閣諸島も北方四島も竹島も人間に対する自然環境以外の何物でもないことが理解できる。その上で、生物多様性を保護し、人類にとって有用有益な資源として活用していく方法を考えるため、むしろ、各国の多様な視点を尊重しながら、協力し合うことができるはずだ。
逆に、従来と変わらず有限な資源を各国の効用最大化のために利用すれば、国毎の経済格差による資源利用量の差によって、全人類の効用最大化に至らないことは、容易に想像される。その代表的な現象が資源争奪による紛争であり、貧困・飢餓などである。資源の独占は、国家という組織単位なら許されるということは決して無いはずである。
近年、地球温暖化現象を人類共通の脅威としての環境問題と捉えることで、超国家的な取り組みが行なわれてきた。しかし、ほんの数年ほど前から、途上国と先進国の経済格差を背景に、地球温暖化という脅威を生じさせた原因とその対応をめぐる責任のなすりつけ合いに陥り、先進国と途上国の確執を生むようになってしまった。
これは、いつの間にか人間としてのアイデンティティが薄れ、国籍のアイデンティティに固執してしまった一例だ。今後、冒頭に述べたような領土問題を生物多様性の保全という環境問題として捉えるにおいても、国益の次元に陥る愚を犯すことなく、常に同じ人間として共通の認識を持つことができる課題として確認し続けていくことが重要である。そして、国民のみならず人類全体を見つめる視点を忘れず、むしろこれを強く追いかけることで、年月をかけながら、最終的に領土問題も解決を見なくてはならない。
本学にも多くの留学生が在学している。留学生との交流は、国家的な利害関係をあまり考えずに、学生という自由な立場で進めることができる。上述のような喫緊の国際的問題が生じている時であるからこそ、このような恵まれた環境や機会を生かして、留学生と積極的に触れ合ってみよう。そして国籍にとらわれない同じ人間として共通の価値観や視点を確認しながら、人類の将来を考える上で有益で貴重な体験を積んで行こう。そのような体験をした人々が、ともに世の中を変えていく意欲を持って、勇気ある行動を起こして行きたい。
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