善に基づく志を根底に固めよ
民主党の代表選も終わり、菅首相の続投が決まった。自国の首相を決めるという選挙であり、結果によって日本の針路が大きく変わることが見込まれるというのに、民主党員を除く一般は手をこまねいて見ているしかないという状況に、もどかしさを感じた方々も少なくない。ともかく無事に決着がつき、国のための本来の仕事に専念してもらえそうなので、一安心といったところである。
この選挙を前後に与えた印象は、政治はやはり「権力」が動向を支配しているという現実だ。選挙に勝った者が地位とそれに伴う権力を握り、その中でも多くの支持を得て勝ち抜いた者が強大な権力を握っていく。その権力闘争に敗れた者は片隅に追いやられ、小さな権力しか握ることができない。実際はそこまで単純に図式化することには無理があるだろうが、これまで政治に深くかかわった人々を通して見聞きした所では、当たらずとも遠からずと言えそうだ。
なぜ人は権力を求めるのであろうか。根本的には、人が誰でも持っている自己実現欲を満たすためであろう。自己を実現しようとする営みは、自分一人の力で成せることもあるだろうが、多くの人の力を合わせて初めて成し得ることもある。それを実現するには、自分が権力を持ち、多くの人を動かして、自己実現のための営みを進めていこうという意識が働くため、人は権力を求めていく。
しかし、そうして一旦権力を手に入れると、権力の味に酔ってしまい、それをもっと味わいたいという思いから、より強大な権力を追求するという状況が生じる。そうなると、人は権力欲に支配されてしまう。気が付くと、自己実現が目的というより、権力欲という欲望を満たすために生きるという状況に陥ってしまうのだ。
ここで用いた自己実現という言葉は、「志」という言葉に置き換えればわかりやすい。つまり、小さな志であれば権力は必要ないが、大きな志を成し遂げようとすると、必然的に多くの人々の力を借りるために権力が必要となり、権力を志向するようになるという訳である。
権力自体は、善にも悪にも属さないものだ。重要なのは、それをどのように活かすかということである。そして最も大切なことは、根底に善なる価値ある志がなければならないということだ。そしてその善なる志は、たとえ権力を手に入れたとしても、権力欲の影に隠れるのではなく、あくまでも権力を必然的な道具として活用しながら、初志貫徹で成し遂げていかなければならない。
よってまずは、自分の人生の中で、いかに善なる価値ある強固な志を持つかということに専心すべきである。それは既に見出している方もいるだろうし、いま志を探求する真最中の方もいるだろう。概してそう簡単に見つかるものではないが、何があっても人生を賭けて絶対的に見出すべき最も貴く大切なものだ。
ところが現実には、学生は就職が厳しいという現状に目の前を覆われてしまい、目先の就職準備活動に多くの時間と労力と精神力を費やしてしまっている場合も多い。本学の場合、卒業生は社会で権力ある立場になる確率がかなり高いと思われる。であるからこそ尚更、志が重要になってくる。志なき権力は多くの人々に悪影響を与えてしまう。善なる志が伴った権力は、多くの人を善なる方向へと導いていくことができるのだ。
自らの志を見出すため、見聞を広め、多くの体験を重ね、時には沈思黙考し、全力を尽くしたい。そのすべては今後の人生に大いに役立つはずであり、また多くの方々に善なる影響を与えるための貴い準備となるに違いない。
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