OB Special Interview
日韓文化交流基金理事長
熊谷 直博 氏
日韓文化交流基金は1983年に設立されて以来、日韓両国間の人的・文化的交流を深めるための事業を実施してきた。2002年にワールドカップ共同開催を控え、現在着実に日本と韓国の交流は進展しつつあるが、これからさらに両国民間の相互理解と信頼関係を築いていく努力が必要である。そこで日韓文化交流基金の理事長を務める熊谷直博先輩に、文化交流を通じた日韓関係について教えて頂いた。 |
日韓関係は因縁のある仕事
――先輩と韓国との関わりを教えて下さい。
私は外務省を退職後、4年程迎賓館館長を勤め、その後1998年の8月からこの基金の理事長を務めています。就任直後の10月に、韓国の金大中大統領が来日され、小渕総理との間で「21世紀に向けた新しいパートナーシップ」という共同宣言が発出され、日韓関係が非常に良好な局面を迎えました。韓国政府の「日本文化開放政策」も打ち出される等、日本と韓国との関係はその後ずっと良好に続いているわけです。戦後の両国間の関係の出発点は、1965年の6月22日に結ばれた日韓国交正常化条約です。この国交正常化には韓国の一般国民の間に、自分の国を侵略して植民地にした日本との国交回復に対する強い反対がありましたが、両国の友好関係を望む当時の国際関係と両国政府の粘り強い長期に亘る交渉の結果、条約が成立、日本と韓国の正常な関係が軌道に乗りました。韓国の経済発展も、これを契機に、急速に進みました。この条約の調印式には、実は、私も立ち会っていました。14年の長期にわたるこの日韓国交正常化交渉の最後の2年半、私はこれにフルに関わっていました。したがって現在の私の日韓文化交流基金の仕事は、私にとって、「天命」とも言える非常に関わりの深い仕事だと思っています。
交流事業の基本は人的交流
――日韓文化交流基金はどのような仕事をしているのですか。
日韓文化交流基金は、日韓両国民の文化交流を強化し、相互理解と信頼関係を築くことを目的に1983年に設立されました。以来、両国民間の人的・文化的交流を深めるためのさまざまな事業を実施しています。基本事業としては、まず人的交流事業として、日韓・韓日合同学術会議の開催、日韓文化交流訪韓団の派遣があります。また両国の若い世代間の相互の理解と関心を深めるために、双方の教職員や大学生を短期間の日程で派遣・招聘しています。滞在期間中は、いろんな地方で、相手国の普通の家庭でのホームステイをしてもらっています。生活にとけこんだ交流は非常に効果があり、お互いの理解は確実に進んでいると思います。交流事業は人的交流が基本であるべきだと思っています。日本と韓国は似ているといわれますが、細かく見ますと、歴史も伝統も文化的にも違うのです。その違う所を認識し、理解しあい、その上でつきあっていくことが必要です。そのような相互理解の上に相互に理解し、信頼しあうようになることが交流の目的であり、我々の事業を通じ、そのような効果が確実に出ております。1999年度からは、中高生の交流行事やホームステイを含む交流研修への支援も開始しました。そのほか日本の大学で研究をし、学位を取得することを目的として韓国から来る人を年間30人くらい招聘し、それに対する奨学金を給付しています。これは、両国の世論形成に重要な役割を持っている知識人の質の高い交流や研究支援を通し、相互理解の促進をはかることを目的としています。これによって日本に対して親近感を持ついわゆる知日、あるいは親日の学者が着実に育っています。
このような人的交流のほかに、日韓文化交流基金では、韓国語で書かれた本を日本語に翻訳する事業を行っています。向こうでは日本の作品は多く読まれていますが、逆に韓国で書かれた学術書や研究書、文芸書が日本の人の目に触れることはほとんどありません。韓国人は読んでいるけれども、日本人の目には触れないものが多いのです。これを翻訳して日本人も読むようになれば、日本人による韓国理解が促進されます。
このほか、日韓両国を中心とする研究者らによる共同プロジェクトや、研究会等への支援も行っています。例えば1996年から、毎年、日本と韓国の若い研究者による人文社会科学分野の共同研究事業をスタートさせました。日韓双方35人ずつの学者・研究者が共同で、同じテーマの研究をし、一冊の本にするということで、7つのテーマをそれぞれ日本側5人、韓国側5人、3年ずつを3ターム、全体で10年の計画が進行中です。すでに第1タームの研究成果が論文集の形で続々と刊行されつつあります。日韓文化交流基金の事業については、ホームページ(http://www.asc-net.or.jp/jkcf)がありますのでご覧ください。
若い世代間の交流が盛んに
――今後の日韓関係の展望についてお聞かせ下さい。
日韓両国は双方、引っ越すことのできない隣国関係にあります。お互いに関係を悪化させるわけにはいきません。お互い、世界中で最も重要な隣国として付き合っていかなければならない運命にあるということです。
何らかの理由で関係が悪化しそうになれば、それを修復する努力が双方で行われます。そういうような隣国間では特に相手国に対するRespect、配慮や敬意といったものが必要なのですが、過去において日本は韓国への配慮を欠いた時期がありました。日本がこの反省の念を忘れず、隣国に敬意を表するとの態度を持ち続ける限り、日本と韓国間の友好関係は確固たるものとなり、そのような関係が継続していくと思われます。継続していかなければなりません。
2002年のワールドカップサッカーの共同開催は、このような隣国関係を形成する一つの試練であると同時に、日韓両国が、共同で一つのことを成し遂げ、確固たる隣国関係の基礎を作る最善のチャンスです。
「大衆文化を含む日本文化を韓国社会に開放する」という金大中大統領が打ち出した政策により、日本と韓国の関係は文化面、人的交流面で大きな変化を見せました。両国の国民間の相互理解は、この3年間で非常に進んだと考えられます。特に若い世代間の交流が盛んに行われるようになっています。この傾向はこの春以来両国間に漂っている「新しい歴史教科書」問題等に伴う政治的な緊張関係の下でも衰えることなく、今後も続いていくと思われます。
仏教や漢字といった文化が朝鮮半島を経由して入ってきたのは飛鳥時代ですが、その当時、高句麗・百済の人たちは外国人としてではなく、自由に日本に入ってきていました。日本にはその子孫がたくさんいますし、日本の中には朝鮮文化がいたるところにあります。近江の近辺には主に百済の人たちが住み着き、北関東には高麗・高句麗の文化が染み込んでいます。例えば高麗神社とか駒神社とか駒場とか新羅神社とか、高麗の古墳など、半島の影響が東京近辺にもたくさん残っています。日本と韓国の間には、過去において日本が韓国を植民地にしたという歴史があります。しかし今後日本と韓国は、協力して、共同で東アジアの伝統文化を背負い、世界に貢献する役割を持っていると思います。
社会の指導者たる自覚を
――最後に、東大生へのメッセージをお願いします。
東大生は、将来の日本社会の指導者となるべき運命を担っています。
日本は昔、世界の国々から尊敬され、畏怖される存在でした。その日本が、現在、あらゆる面で危機的状況にあり、国際的に尊敬されない国になりつつあります。これを元に戻し、国際的にも尊敬されうる日本を取り戻さなければなりません。そのための努力を若い世代、とりわけ学生たちに求めたいのですが、その牽引力となるべきは東大生です。「自分たちがやらなければ」という気概が東大生に失われつつあるように思います。東大はいつの時代においても社会の指導者を輩出する大学であるという自覚を失ってはなりません。
【くまがい なおひろ】1932年生まれ。札幌一高を経て、本学法学部入学。55年4月、外務省入省。イギリス勤務を経て、59年7月より外務省条約局事務官。その後マレーシア、西ドイツ勤務を経て、外務省領事課長、法規課長、技術協力課長を歴任。80年5月より条約局参事官・審議官、82年より南アフリカ共和国総領事、85年8月より米国次席大使、87年9月より法務省入国管理局長。89年3月よりケニア全権大使、91年11月よりスウェーデン大使を務め、94年5月迎賓館館長に就任。98年8月より日韓文化交流基金理事長(現職)。
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